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​以前、飯まち探検隊に掲載して頂いた事もあります

こだわりもんに聞くvol.25    

介護福祉士 𠮷原 浩司(ひろし)

 

 花瀬の自宅で、「お家カフェポポロ」という色んな職種の人達や留学生が集まる交流の場を提供しています。毎月第四日曜日に高齢者のための認知症予防や手話教室、私のギター弾き語りなどがあり、コーヒーとアップルパイ、パイ大福など手作りお菓子も出しています。参加費は100円です。このスイーツが好評なので、商店街の百縁市や永昌会にも出店しています。

 私は北海道帯広市生まれで、幼少期に佐賀県の吉野ケ里で育ちます。東京の大学を出て、宝石の商社に就職し、バイヤーとして宝石の採掘現場に立ち会いながら、南米や東南アジアに行きました。南米では、銃を突きつけられるという大変怖い思いも経験しましたね。当時はバブル時代で、宝石も飛ぶように売れていたのです。

 25歳の時にメーカーとタイアップして、独立します。仕事も私生活も順調でしたが、知人にお金を貸して逃げられたりして、バブル崩壊と共に売上げも私生活も乱れて、全てを失いました。単身大阪へ行った時に、昔可愛がっていた後輩と偶然に出会い、成功していた彼の飲食店を手伝うことになったのです。店は更に繁盛し、店長として数店舗を掛け持ちで働きました。

 数年後に独立して、ミナミに24時間営業年中無休のカフェ&バーの店を出します。それが大当たりして、一文無しからわずか2年で2店舗を出店するまでになりました。順風満帆でしたが、信頼できるスタッフに店を任せて、我が家のある飯塚で店ができないかと物件を探しました。しかし、うまく折り合いがつかずに出店は断念して、相変わらず休みなく働く日々が続きました。

 心身共にリセットするために語学留学を兼ねて、南の島フィジー共和国に1年ほど滞在します。その後、スタッフに任せていた大阪の店に戻り、働いていたところ、父親が亡くなって、母が佐賀に一人となるので、飯塚に戻ってきました。母が高齢なので、介護の仕事に興味を持ち、介護施設で働くようになります。その職場で、レクリエーションのためとギター演奏を頼まれました。大学の頃以来でしたが、うまく弾けたため、オリジナル曲も作って、飯塚以外の施設にも慰問に行くようになったのです。3年後に介護福祉士の資格を取得します。

 2年前から、B1ミュージックフェスティバルに「Hiro」という名前で出演して、コスモスコモンのステージや商店街でも弾き語り演奏をしました。その様子がユーチューブの動画にアップされていますので、「筑豊エレジー」で検索するとご覧頂けますよ。

 

てっぺんやどん底を何度も経験しましたが、今が一番充実しています。それも家内がよくしてくれるお陰ですね。色んな活動を通じて、飯塚のまちを盛り上げていきたいと思います。

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