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最終章 先駆者の道③

あゆみは筑豊大学病院にて臨床研修をこなしていた。

すっかり医者としての風格とその美貌に周りの注目の的になっていた。

更に大分の別府に建設中の発案者の娘とあってマスコミも度々取材に訪れるほどだった。

あゆみは、父浩吉の病気で180度違う人生を送ることに後悔も無かったしむしろ自分本位の漠然とした生き方より目標が

明確になったこと、人のために貢献できる未来に感謝さえしていた!

すでにあゆみには進みたい道がハッキリとしていた。山仲教授が研究している再生医療を志す事を決めていた!

もちろんドクターPOSTの面々と連携を取りながら最先端の医療に携われるように常に臨床研修と並行して

出来うる範囲の研究をしていた。一方医療リゾートホテルは急ピッチで建設が進んでいた。

最初に研究棟建設を急いでいた。

なぜなら、先に山仲教授をはじめ世界中の最先端の医療の研究者を豊富な資金で集めたかったのである。

任されたゼネコン伊達建設は明るくてそして高級感の有る医療リゾートホテルを目指していた。

花の井ホテルの建設も携わったとあって工事は順調に進んでいた。

もちろん潤沢な資金が集まった事も大きく影響しているのも確かである。

当初の予定を大きく上回る資金援助が世界中から集まったことがこのプロジェクトを大きく

飛躍させそして最先端の医療・最先端の施設が可能になったのである。

浩吉が当初考えていた予算の何百倍いや何千倍の資金、想像を越えた潤沢な資金!

更に相乗効果で世界中から優秀な人材が集まって、悪い言葉を借りるなら“金が金を呼び金が人も呼ぶ”とでも・・・。

一番は最近どの業界でも優秀な人材が海外に流出している現実があったが少なくとも

医療研究者は日本に呼び戻す事ができる!と今回のプロジェクトに関わる全ての

関係者が感じていた。研究棟・治験棟・リハビリテーション棟・総合病院棟・

入院棟とリゾートホテル(温泉付)の一体化である。広大な温泉施設や広大なレストラン施設を併設した今回の

プロジェクトの目玉である。特に食事処には力を注いでいた・・・。

洋風、和風に限らずハラール(イスラム教信者)にも対応できるまさしく

全世界的に対応出来るレストランをいくつも設け・・更にはリハビリ食に至っては”美味しい!”

を絶対条件に特に一流の唯一無二の料理を提供できるスタッフを用意した! 更には

スタッフや医療従事者・医者はもちろん看護師や介護士等の寮も建設しなければならい。

医療リゾートホテルイコールひとつのメディカルケアタウンである。

もはや浩吉は発案者であり個人でやってたカバン屋(宝石屋)の域を遙かに超えて

手の届かない領域に達していた。そこで、浩吉は息子浩一郎の盟友上杉虎景に

医療リゾートホテルの経営に従事してもらえる様に頼み込んだ。

なぜなら上杉は父から受け継いだ病院を上越の地ですでにメディカルタウンなるものを実現させた名士だからである。

病院の経営や医療関係の全てに右にでるものはいなかった。

あらゆる人材を取り込みながら建設の進行と並行して人材募集や経営・お金の管理、メディカルタウンの周囲

の環境も含めて他に類をみないプロジェクトが進行している。すでに、5,000億円を超える資金が集まっていた・・・。

上杉は、お金の管理を浩一郎がすることで快諾した!

浩吉は、ここまでのプロジェクトが現在進行している事を感慨深く、そしていい加減な考えで生きてきた自分が

社会に貢献できる未来に深く感謝するのであった・・・。

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